いちにちいちにちざっかん

一日一個思ったことを書きたかった成れの果て。

生姜カレーを作る 失敗編

 浜松町の風土記という店で取り扱っている生姜カレーがべらぼうに好きなので、家でも作れないかとググった結果、これが出てきたのでチャレンジしてみたメモ。


 とりあえず用意した具材は以下の感じ。

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  • たまねぎ3玉
  • ホールトマト缶1つ
  • 生姜2個
  • カレー用豚肉200g

生姜をすりおろす・玉ねぎをみじん切る

生姜をひたすらすりおろす、2個でも結構な量とれた。サイズ比較用に楊枝を添えてみた。

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たまねぎを3玉ひたすらみじん切りにしました。みじん切りにすることに熱中してて写真撮り忘れました。

生姜を炒めて、玉ねぎをひたすら炒める、そしてトマトを投入

鍋に生姜を解き放って早々に炒める、読み間違えてて油を全然しかずにいったのですぐに焦げ付いたので慌ててたまねぎを投入

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 玉ねぎの多さにビビりながら弱火で火を通す。30分後が以下。

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 まだ火が通った感じがしないので更に10分加熱。

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 あまり炒め過ぎないほうがいいとのことなのでこれぐらいでホールトマトを投入する。ホールトマトはつぶす。

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投入。肉に添えられていた謎ハーブも入れてみる。

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 ぐつぐつ煮る間にワインと塩コショウで下味つけた肉を焼いて投入して 数分煮る。仕上げにカレールーを入れる。一箱入れるには水分少なげだったので半分だけ。

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 色合い的にもそろそろいいだろう…ということで完成。

試食

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 うん、美味しい、けど求めていた味と違う…。失敗点をまとめる。

  • 生姜もっとすっても良かった。2個だと足らない。
  • 生姜をしっかり炒めなかったせいか、すごいヒゲの部分が残ってしまった。口当たりも良くないのでもっと炒めればよかった。
  • 玉ねぎのみじん切りの粒度が粗かったので出来たものも食感残りまくり。まずくはないけど粒度細かいほうがいい。もうこれフードプロセッサーのほうが良いんじゃないかな。
  • 肉はもうちょいいれてもいいと思う。
  • ルーは箱一個入れないとカレー!って言う感じの味がでない。水分足らなくなるのでなんかベーススープがあるといいかも。

次回はこの反省を踏まえてもうちょいまともな味を出せるように頑張りたい。ということでメモがてらの日記でした。

Revoというアーティストの特性とそのプロモーション

以下のツイートを先日した。

最近音楽って、楽曲単位だと売れてない。
いまやiTuneですら売上が下がっているぐらい音楽配信は下火。みんな音楽買わない。
それなのに紅蓮の弓矢はTV Sizeバージョンでありながらそこそこ売れた。 何故か。そこにはSoundHorizon(サンホラ)の根強いファンがいたからだと思う。
そんな話をロングバージョンで。

SoundHorizonとLinkedHorizon

SoundHorizonは移動国家とし、SHのファンは「国民(ローラン)」として位置づけられている。
そのため、ファングッズの売り場は「宮内庁」と呼ばれるし またグッズを買うことを「お布施」という人もいるぐらいだ。

そういう世界観を構築して、アシストしたのは間違いなくRevoさん本人だけど
それに乗っかってきたのは間違いなくファン自身だし、その世界観を好きな人も多い。
それだけRevoさんの音楽と世界観は多くの人から好まれているし、受け入れられているということだと思う。

SoundHorizonとして好きな人もたくさんいるし、世界観が好きだから聴いてる人もいる。 ただそれがきっかけなだけであってRevoさんの作り出す音楽に惚れて、Revoの音楽が好きっていう層も多い(と思っている)。 そこをうまく巻きとったのがLinkedHorizonだと思う。

LinkedHorizonというものの立ち位置

LinkedHorizon(リンホラ)はもともと以下の様な立ち位置だ

作詞・作曲・編曲の全てを手がけるサウンドクリエーターRevoが、他作品とのコラボレーションで音楽活動をする際のユニット名。 Revo自らが作り出すオリジナルストーリーを組曲形式で表現する従来の Sound Horizonとは異なり、他作品とコラボ(リンク)することによりRevoがその世界を音楽で描いていく、それがLinked Horizonである。

まぁRevo+他作品という名義。
逆を言うと、サンホラの世界観部分を破棄したものがリンホラであるとも考えられる。

サンホラの世界観は好きな人もいるが、その世界観の独特さから敬遠する人も多いのも事実である。
そのため、それをうまく取り除いて、Revoの音楽性を抽出したのがリンホラなんじゃないかなと思っている。

これ、よくよく考えるとRevoが他の作品の音楽を手がけるという観点ではみんなが得をする。
何が得かと言うと

  1. サンホラ名義じゃないから、サンホラの世界観を尊重しなくていい
  2. サンホラ名義じゃないから、コラボ作品の世界観を存分に取り入れていい
  3. サンホラ名義じゃないから、売り方も割とコラボ作品主導で構わない

サンホラ名義で「少年は剣を」とか作ったけど、あれもサンホラに寄らせるべきかコラボ(タイアップ)作品によらせるべきか難しかったんじゃないかなぁと思う。そういう意味では存分にコラボ作品を意識して音楽を作れるリンホラは凄いやりやすいんじゃないかなと思う。

喉が渇いたローラン達

ただリンホラの活動を活発に行われると、それだけサンホラの活動は縮小する。
そこで新曲を待ち続けるコアなファン、ローラン達はリンホラで飢えを凌ぐわけである。
「いつもの世界観が用意されているわけではないが、Revoさんが作り出している音楽であることは間違いないので買うか…」という心理は働くのである。

それを如実に示したのはリンホラ第一弾「ブレイブリーデフォルト フライングフェアリー」である。

ゲームの音楽を全てRevoという立ち位置で行われたのだが、劇中BGMに歌を乗せたボーカルヴァージョンを制作し、凄い批判があるわけでもなく受け入れられ、まずまずの評価(だったように見えた) 。
CDの発売後、ボーカルバージョン含めたコンサートライブを行い、横浜アリーナの2回席までを昼夜公演埋めたので公演の客入りもまずまずだったと思う。

そこで垣間見えたのは「ゲームはよく知らんけどRevoだし聴く」「Revoさんが作曲してるならゲーム買う」のような意見だった。
これは「世界観を盛りこまなくてもある程度はみんな聴いてくれる、買ってくれる」ということのある程度の証明になったのではないかと思った。

さらにブレイブリーデフォルトは普通にゲームとしての評価が高く、3DSでは久しぶりのヒット作ともなった。
普通にゲームをプレイした層からも音楽に関してはまずまずの評価で、一般の方のウケもよかったように見受けられた。

それを要点かいつまむと以下の感じ。

進撃の巨人と渦

それを知ってか知らずか、「進撃の巨人」という大人気コミックのアニメ化が主題歌リンホラとなる。 ブームというのは小さい取り巻きが騒ぎ始めて、周りがなんだなんだと気にしていくことで大きな取り巻きができあがっていくという現象のことだと思っている。
そこで以下の話になる。

リンホラの時に、サンホラでなくても音楽的にはファン以外にも受け入れてもらえることは実証済みだったので、初速で話題性さえ作ってしまえばある程度は大きな渦をつくることは確信できていたのかもしれない。

欲を出しすぎた売り方

話題性も作り、初速もあがり、ミニマム版のTvSizeも好調。
そこで欲が出たのか、こんなことをやる。

アニメ「進撃の巨人」後期OPテーマ/EDテーマ決定―OP曲は着うた先行公開 | おたくま経済新聞 http://otakei.otakuma.net/archives/2013060705.html

このスマホ隆盛のご時世に着うた先行、しかもサビの切り出しショート。
ちょっとこれは…と思ったのが今回の記事を書こうと思った発端である。

ファンの特性もわかってて、音楽そのものが売れないご時世だから頑張って売りたいというのはわかるのだが、これではファンが体力切らすし、変に不信感を抱くかもしれない。
そこらへんは考えてやってほしいな。と思う。

ここから見える「楽曲」の売り方。

ちょっと最初の方に触れたが、現在楽曲を買う人がものすごく減る傾向にある。
色々理由はあるのだとは思うのだけれども、それぞれが混ざり合って曲にお金を出す、という価値観が崩壊してきているのかもしれない。
となれば楽曲に頼らず稼ぐ、というのがライブ主導での売り方だとは思うのだけれども
今回の件に関してはコラボをするということでお互いの持ち味を活かす売り方をしたように思えた。
ただ、今回はよくある「タイアップ企画」とは逆という風に思えた。 普通であれば

  1. タイアップ元のドラマが注目される
  2. ドラマで気になった人が楽曲を聴いて売上初速アップ
  3. 初速アップで話題性ゲット、さらなる売上げアップ

であるところがちょっと違う展開だったので、ファン心理をうまく使えば変わるのかなぁとも思った次第でした。
もっと書きたいことはあるが息切れなので機会があればまた。

無圧縮のAssetBundle

急に技術のことを書き出すブログ。

今回はUnityのAssetBundleについて。
先日のUniteでやってた(らしい、自分は見ていない)AssetBundleに関してのこと。
まずはお話の前提条件

[Unity]AssetBundleの管理について
http://terasur.blog.fc2.com/blog-entry-449.html

記事内に「無圧縮のAssetBundle」と出てくるのだけれど
お話も聴いてないし、AssetBundleのことも未熟な私なので
何を指しているのかさっぱりだったのでそれについて調べたメモ。

そもそもAssetBundleはどうやってつくるのかっていうと
BuildPipeline.BuildAssetBundleを使って作る。
公式のサンプルだと
UnityEditorを拡張して選択したAssetをAssetBundleにする例が載っている。

この生成時にオプションが指定できる。そのうちの一つ
BuildAssetBundleOptions.UncompressedAssetBundle
を指定すると無圧縮でAssetBundleを生成する。

これ、どれだけ違うのかと言うと圧縮時は500kぐらいのものが
無圧縮だと8Mぐらいになる。ぜんぜん違う。

ただ無圧縮のもののみCreateFromFileが使えるようになるので
むしろCreateFromFileが使えるのは無圧縮タイプのみ。
それを使えばローカルに保存したAssetBundleを読み込むことが可能になり
150日で消えてしまうCacheを気にせず長期間保持できる(らしい)。
※Cacheもキャッシュといいながらストレージ上に保存するので
memcachedみたいなイメージだと面食らう


スマホアプリとして作る際にアプリの軽量化は必須事項なので
別口で初期DLさせるのはよくある話だけど
そこでDLさせたものが150日経つと再DLになるのは解せないので
やっぱり無圧縮をローカル保持が無難なんだろうなぁとか思ってしまうわけです。

かといってでかいファイルを初期DLさせるのはナンセンスなので
手前味噌圧縮などは考えないとダメそうです。
(ただZip系のライブラリは商用利用めんどくさいライセンスばかりですが…)

参考URL:http://docs-jp.unity3d.com/Documentation/Manual/abfaq.html

一曲完結型のストーリー

とある記事をみてビビる。

カバー駄話 感想戦 -- 「ストーリー」「必然性」「文脈」は必要?不要? http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

これを読んでちょっと前々から思ったこともあったので、引用しながら記事を書きます。
(取り上げる内容としてはかなりズレてるので、連想ゲームみたいなものです)

 上記の記事の総括として以下の文にまとめられていた。

・なんだかんだで音楽におけるストーリーみたいな話は求められている、でもそれを強く発信できる主体が変わりつつある
・自分が聴きたいものを聴けば良いからストーリーなんて関係ないという空気は、世の中全体の大きな風潮とつながっているのでは

 上記の記事のなかで語られた「ストーリー」を自分なりの解釈で噛み砕くと、「アーティスト個々のバックグラウンドで紡ぎだされた物語だったり、フェスという祭を作り上げる・実際のライブを行うというまでの一連の物語のこと」という見解に至った。

 まとめの一文からもわかるように、「若者がストーリーを求めていないのでは?」という話を展開されているのですが、私はむしろ「若者はわかりきったストーリーを求めてるのでは?」と思っていました。




 何故こんな見解に至ったかというのは、最近の大衆の若者ウケする楽曲は1曲完結の話を歌詞に載せてるモノが多い気がするからです。

具体例を出しましょう。 例えばファンキーモンキーベイビーズ。
「告白」では好きな子に告白をする物語を歌詞に乗せており「ヒーロー」では働く父親像を投影した歌詞になっています。

また、BUMP OF CHICKEN
アルバムのTHE LIVING DEADがイメージに一番近いもので 、全てが1話完結の絵本のようになっています。

更にボカロ界隈。
悪ノ娘」シリーズに代表される御伽話のように語られる楽曲。 「カゲロウプロジェクト」のようなひとつの世界観の元で展開される楽曲たち。

 どれも共通して言えることは、どの曲も「小説」のように登場人物達を明確な像で個々の頭のなかで想像してもらって、それを各々の心で楽しんで貰いたいという意図が見えるのです。
否定的に解釈すると「作り手が提示した切り口以外ではなかなか楽曲をしにくい」というところです。

 逆にスピッツの「冷たい頬」なんかは真反対に位置してると思います。 失恋の歌なのか、それとも死にゆく恋人を描いた歌なのか、歌詞からふくらませる想像は聴き手に委任されています。そこに明確な像を示していません。

 そういう意味で若者は「ストーリー」を欲している、けれどもアーティストが持っている壮大なバックグラウンドを欲してるのではなく、一曲完結型のわかりやすい「ストーリー」を所望しているんじゃないかなと思います。
 活字よりもマンガ、マンガよりもアニメ、よりわかりやすく感動できるもののほうが歓迎されている風潮もある世の中です、そんな流れにそって、泣きたいときに泣けるストーリーの曲聴いて、恋愛している時に恋愛に励むストーリーの曲を聴く。そんな感じ。




 この切り口が悪い、とは思いません。むしろ作り手が提示したものを聴き手が語弊なく吸収してくれる切り口なので凄い伝えやすい手法なんじゃないかなと思います。
 むしろこの曲のチョイスの仕方って昔からあって、この「曲単位のストーリー」を楽しんで、その作者である「アーティストのストーリー」にハマって行く、ってのがよくあるパターンじゃないかなって思ったんですが、それが少なくなっている気がするんですね、そこまで深いものを追う余裕が無いのかなと思うんです。  周りの聴いている音楽が多様化しすぎて、その潮流に合わせていこうとすると、ひとりひとりのアーティストのストーリーを体感してると流れに乗り遅れてしまう。だから消耗品のように、周りに合わせるために聴いて楽しむ、みたいな。浅く広くが一般化してしまい、深く浅くがトレンドじゃなくなってしまったような。

 個人的には聴き手によって想像する世界が変わる曲のほうが好みなんですけど、そういう曲はウケないから減ってる気がするんですよねー。それが少し悲しくてこんな記事を書いた次第です。

 サカナクションが流行ってたりするのはそれとはまた別次元なんだろうなぁと思うのでそれもつらつら書きたいしだいです。

カバーと歌い手

こちらの記事を読んだ。

カバー駄話 -- 小沢健二と「生と死」、『エイリアンズ』と「拡張現実」 http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

さらに重ねてこっちも読んだ。

SNSの普及に伴うライブハウス文化の変容について①
http://togetter.com/li/479389

 両方の記事を読んでぼんやり「歌い手」というものが浮かんだ。

 現状のニコニコ界隈を騒がせる「歌い手」というものは、行動そのものはボーカロイドでボーカルを当てられた曲のカバーであるとも考えられる。
 その中で、「歌い手」達は何を思ってカバーをするのかと考えたとき大多数が原曲が好き!という感情ではなく「この有名Pの曲を歌えば伸びる!」という発想の元に行われているのではないのかと思った。
 そのため歌ってみた界隈は有名Pの出す新曲をいかに早く歌うかが競われる部分もあるように(少なくとも自分からは)見える。
 歌い手が台頭してきてから、なにか釈然としないなと思ったのはこの部分で、その点でレジーさんの以下の言葉が凄い自分の中でマッチした。

レジー「そう思います。で、このまままとめに入っていきたいんですけど。最初の方で「必然性のないカバー」って話をしましたが、結局「いいカバーか否か」ってのはこの「必然性」の部分に尽きると思うんですよ。もちろん「素朴にいい歌」とか「原曲に自分たちの個性を注ぐ」とかそういうのは前提条件ですよ。この「必然性」ってのにも2種類あって、「この人がこの曲をカバーする必然性」って話と「この時代にこの曲をカバーする必然性」って話。どちらかにあてはまらないときつい」

 「人気取れそうだから速攻で歌う」というすげー短絡的な理由で歌ってみた(≒カバー)をしてるんで、どっちにも当てはまらない。
 しいて言うならば曲に愛がない。行動にも愛がない。モテたいからバンドを組みたいレベルの発想。だからイマイチ今の歌い手文化が好きになれないのかなと思ってしまった。あまりにも原曲への愛が見えなさすぎて。



 でもそういうのって真面目に愛があるとか、行動に意味のある、上記の条件を満たす人が出てくると淘汰されていくのに、されて行かない。
 そこら辺何故かなー、と思ったときに「取り巻きの環境や、若者のSNSへの触れ合いによる価値観基準の変動とか、自分の好きなもの以外は排除することによるマジョリティの認識差異とかだったり?いやでもプロアーティストじゃないしそこまで厳格に見なくても。」とかとかTogetterのまとめを見て思ったのですが、ちょっとネタの方向性変わるし長くなりそうなので次回(があるかわからないけど。)

白兵戦-女王蜂 雑感

昨年、年末の女王蜂の無期限休止宣言。
休止前最後のライブとなる白兵戦がSHIBUYA-AXで行われました。

休止前に相応しい凄まじいライブでした。

もともと女王蜂はライブが引き込まれる迫力があるバンドでしたが
今回、節目のライブなので観客も演者も気合が半端なかったです。

正直なところ、音源に関しては全部聴けていないので
好きな度合いとしてはにわかに分類されてもしかたのないぐらいなのだけれど
それでも終わったあとには「素晴らしい」という感想しかなかったです。

女王蜂はライブでこそ、その魅力を充分に感じることができるバンドでした。

今回のライブで一番その魅力を感じることができたのは
「鉄壁」でした。

これは蛇姫様というアルバムに収録されている曲ですが
ライブの雰囲気も相まって素晴らしかったです。

あたしが愛したもの全てのものに
どうか不幸が訪れませんように
ただひたすら祈っているの

ライブの始まりも、ライブらしからぬカーテンが開くところから始まり
まるで劇場の舞台のようなセットになっており
ライブの終わりに関しても演者が退場するわけでもなく
幕が閉まって終わるという形式。

鉄壁を歌い終わって第一幕が終わり。
アンコールを求める手拍子が鳴り響き
アンコールが始まるとボーカルのアヴちゃんが涙ながらに歌い上げる。

最後の最後はボーカルのアブちゃんが手を広げ、頭を下げると 演奏がやまぬうちに、幕が静かに閉じていった。
演奏が鳴り止むと、ダブルアンコールを期待してまた手拍子が始まる。
そこに幕が開き、そこにいたのはアヴちゃんの着ていた衣装とマネキン。

最後の最後にこの私達は消えたのよと言わんばかりの演出にやられた。
カーテンという舞台装置を綺麗に使った演出。

兎にも角にも、本当に良いライブでした。
復活を待ち望んでいます。

コルーチンの謎

イマイチコルーチンがわからんのでUnityでサンプルコードを書いてみた。

using UnityEngine;
using System.Collections;

public class yieldSample : MonoBehaviour {

    void Start () {
        YieldTest();
    }

    void YieldTest()
    {
        // イテレータでAppleを回す。
        foreach(object n in Apple())
        {
            Debug.Log(n);
            Debug.Log("---");
        }
    }

    // コルーチンApple
    private IEnumerable Apple()
    {
        // 無限ループ。ただしiが20になったらブレイクして抜ける。
        for(int i = 0 ; true ; i++)
        {
            // iが20になったらブレイク
            if(i == 20) yield break;
            // そうでないときはループを一回回すたびにループを中断して元の処理に戻る
            yield return i;
        }
    }
}

引用元はここ
これって要するにyield returnまでの処理で評価して返す。
ただし実際に中断してるわけじゃないのでガチで無限ループってるといっこうに処理が終わらない。 また返却するのは列挙型なので、単純なオブジェクトじゃない。
したがって手動で何度も呼び出しても意味が無い。

Debug.Log(Apple());
Debug.Log(Apple());
// こうやっても帰ってくるのはオブジェクト列挙型
//  1
//  2
// とかにはならない。

これをどうやって非同期処理につなげてくかはまた次回。
寝たい。