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いちにちいちにちざっかん

一日一個思ったことを書きたかった成れの果て。

カバーと歌い手

こちらの記事を読んだ。

カバー駄話 -- 小沢健二と「生と死」、『エイリアンズ』と「拡張現実」 http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

さらに重ねてこっちも読んだ。

SNSの普及に伴うライブハウス文化の変容について①
http://togetter.com/li/479389

 両方の記事を読んでぼんやり「歌い手」というものが浮かんだ。

 現状のニコニコ界隈を騒がせる「歌い手」というものは、行動そのものはボーカロイドでボーカルを当てられた曲のカバーであるとも考えられる。
 その中で、「歌い手」達は何を思ってカバーをするのかと考えたとき大多数が原曲が好き!という感情ではなく「この有名Pの曲を歌えば伸びる!」という発想の元に行われているのではないのかと思った。
 そのため歌ってみた界隈は有名Pの出す新曲をいかに早く歌うかが競われる部分もあるように(少なくとも自分からは)見える。
 歌い手が台頭してきてから、なにか釈然としないなと思ったのはこの部分で、その点でレジーさんの以下の言葉が凄い自分の中でマッチした。

レジー「そう思います。で、このまままとめに入っていきたいんですけど。最初の方で「必然性のないカバー」って話をしましたが、結局「いいカバーか否か」ってのはこの「必然性」の部分に尽きると思うんですよ。もちろん「素朴にいい歌」とか「原曲に自分たちの個性を注ぐ」とかそういうのは前提条件ですよ。この「必然性」ってのにも2種類あって、「この人がこの曲をカバーする必然性」って話と「この時代にこの曲をカバーする必然性」って話。どちらかにあてはまらないときつい」

 「人気取れそうだから速攻で歌う」というすげー短絡的な理由で歌ってみた(≒カバー)をしてるんで、どっちにも当てはまらない。
 しいて言うならば曲に愛がない。行動にも愛がない。モテたいからバンドを組みたいレベルの発想。だからイマイチ今の歌い手文化が好きになれないのかなと思ってしまった。あまりにも原曲への愛が見えなさすぎて。



 でもそういうのって真面目に愛があるとか、行動に意味のある、上記の条件を満たす人が出てくると淘汰されていくのに、されて行かない。
 そこら辺何故かなー、と思ったときに「取り巻きの環境や、若者のSNSへの触れ合いによる価値観基準の変動とか、自分の好きなもの以外は排除することによるマジョリティの認識差異とかだったり?いやでもプロアーティストじゃないしそこまで厳格に見なくても。」とかとかTogetterのまとめを見て思ったのですが、ちょっとネタの方向性変わるし長くなりそうなので次回(があるかわからないけど。)